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獅子と幽幻の子

摩利と新吾」を白泉社マンガparkでの全話無料公開期間に再読したことを期に、改めてkindle電子書籍をダウンロードして木原敏江さん作品をいくつか再読しています。(単行本を実家で読んでました。)

 

大江山花伝

大江山花伝

 

表題の「大江山花伝」は 宝塚でも舞台化されていて、結構知名度が高いのではと思うのですが、今日主にお話ししたいのは同時掲載の「夢幻花伝」。

こちらの作品は今日まで能の始祖として名高い観阿弥世阿弥親子の内、世阿弥の若き時代の立身模様や儚い恋を描いた作品なのですが、

そんな少年・世阿弥(幼名・鬼夜叉 絶世の美少年だったらしいです)を見出し、愛した人物として、足利将軍家で一番知名度が高いと思われる(謎ランキング)・足利義満が登場します。

 

この漫画を読むまでのわたしの足利義満像といったら世間一般のご多分に漏れずだいたいこれ↓

第5話 たけのこと虎退治

足利義満と京都 (人をあるく)

少なくともおじいちゃん・何か脂ギッシュそう・何か王様になりたかったんよね? という大層失礼なイメージ以外のものを持っていなかったのですが、「夢幻花伝」の足利義満公はこうです↓

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おお・・・・

 

天下の権力者とその寵愛の美少年、なんて文字を見ると、まず脂の乗った権力者おじさんが少年を侍らす図を想像してしまいますが、足利義満が11、2の鬼夜叉(後の藤若→世阿弥)を見初めたのは、当時17、8のこれまた少年と青年の合間をたゆたう若き獅子であった頃・・・というのが非常においしい、もとい心ときめく史実の妙なのでございましたよ(漫画の脚色ではなくて史実でほぼこの年の差!)

出会いの場面の、鬼夜叉が12で余は18、似合いとは思わぬか?と嬉しそうに鬼夜叉の腕を引く上様がなんともかわいかったです

 

そしてその頃ちょうど並行して「太平記」を読んでいたので、観阿弥世阿弥親子が率いる観世座と、楠木正成公(観世座の前身となる座を率いていたのが「花夜叉」もとい楠木正成公の妹御・卯木で観阿弥の母親)のつながりが一本の線となって現れたことに、おおおお!となりました。

 

(マジで余談なのですが、とりあえず「太平記」の足利尊氏の藤夜叉及びその子直冬への態度はいくらなんでもひどくない?って思うんですがどうですか? 前半に尊氏の人望アッピル描写が入るたびにその矛盾にモヤついていた記憶・・・ 正室以外の女人に子供が出来てしまったアワワ という時代観ではないと思うゆえに、なぜそんなに怯えて遠ざけるんだ・・・という 北条政子様みたいに側室の家焼き討ちするタイプの正室でもなさそうなのに・・・

大河ドラマの「太平記」では「子供を戦の中に置きたくない」という母・藤夜叉の願いを汲んであえて足利という武士の棟梁一族から遠ざけた・・・という描き方らしいので、それならまあ理解できるのですが・・・)

(「太平記」についてはまたいつか語ってみたいです)

 

話を足利義満世阿弥に戻して。

上記に書いた観世座もとい結崎の家と楠木家のつながりについては諸説あるがのらしいですが、

敵ながらもお互いを心の盟友と見定めた足利尊氏楠木正成太平記の二人の邂逅シーン、大好きです)の血筋が、時を経て、関係性の形を変えながらも、将軍とその猿楽師として運命をともにしていくというのは、歴史の浪漫を感じます( ˘ω˘ )

 

「夢幻花伝」ラストは筒井筒のお姫様(実は南朝の姫)を亡くした世阿弥がその悲しい恋を背負いながら唄い舞う・・・というものなのですが、

姫の死を経て、迷える青少年藤若から、観世座の棟梁としての達観を見せ始める世阿弥に対して、「余とそなたの愛は戦のようなものだの」と呟く義満公のやり取りに、何とも表現できない情の濃さを感じたり。

義満公、最初は「風恋記」の後鳥羽上皇のような、稀代の英才・権力者として徹頭徹尾帝王然として主人公に迫り来るキャラクターなのかと思っていましたが、鬼夜叉の筒井筒の姫に嫉妬したり、いずれは姫と鬼夜叉を結婚させてやろうと思っていたのだ・・・なんて心遣いをあとから見せてみたり(絶対鬼夜叉の気持ちを慰めるためだけに言ったおためごかしやろ・・・と思っている)と、青年らしい人間味のあるキャラクターとして描かれていました。

義満公、この絶妙な報われなさ加減といい絶対夢殿さんの系譜だよね・・・

(「摩利と新吾」は夢殿さんが一等好きです!)

 

鶴丸国永のオタクとして霜月騒動から鎌倉時代に興味を持って、南北朝~室町にも関心が出てきた今日この頃です。

歴史たのしいですね