梅雨真っ只中の休日、通称(?)てんえど(天保江戸)コンビの二振りの刀匠である
「源清麿」と「水心子正秀」が眠るお墓に参ってきました。ずっとお伺いしたくて、ようやく来れた・・・!
源清麿の菩提寺である四谷「崇福寺」の門前にある、こちらが墓所であることを示す石碑前でもちちかと
この石碑、よく見ると水心子正秀の石碑の方が少し背が高いように見えます 水心子が清麿ら新々刀の祖であることに対する敬意?なんでしょうか。
ゲームの水心子が自分の背丈の小ささを気にしていることと合わせて考えると、祖cuteの想いが高まります(so cuteとかけています)
最初はこちらがお墓かな?と思い(今思えば道路直面だしどう考えてもお墓であるはずがない)、しばらくこの石碑の前で手を合わせたりしていたのですが、門の奥に墓地があることに気づき、入ってみるとそちらにこのお二方及び二代目水心子正秀のお墓がお隣に建てられていました。
こちらのお寺、当初は四谷に居住しこの地で没した源清麿のお墓しかなかったそうなのですが、関東大震災で水心子正秀のお墓が倒壊してしまったことに胸を痛めた有志の方が、こちらに再建したのだとか。
源清麿と水心子正秀は直接の師弟関係や面識はないそうですが、新々刀の祖と新々刀随一の名声を持つ天才刀匠のお墓がこうして寄り添うように隣同士に建てられているところから、とうらぶのまろとすいは親友設定になったのかな・・・などと改めて想いを馳せたりなどしました。
まろとすいゎ・・・ズッ墓友だょ・・・
静かに手を合わせてそっとお寺を後にしてからは、道中看板を見かけて気になった「須賀神社」へ向かうことに。
この辺り、いわゆる新宿地区のイメージとは打って変わった静かな住宅地なのですが、須賀神社の案内板には日本語だけでなく英中韓国語での表記があり、観光客の賑わいを感じさせます。有名な神社なのかな・・・・?
そんな感じで全く須賀神社のことを知らずに来たわけなのですが。
ここ、かの有名な「君の名は。」のキービジュアルのモデル地だったんですね・・・そりゃ世界中から来るわ。
もちろん撮りましたよ。
(おもちを。)
疫病退散をひたすら祈った後は、須賀神社からはこんな坂を登って
(どっぽちん坂だ!)
尻尾にわかばって薄ら彫ってあるのかわええ!
さくさくな皮となめらかな餡子がおいしかったです。
餡子の小売もしていたようなので、これでおぜんざい作ったらおいしいだろうなあ。
中にこじんまりとした喫茶スペースがあって、お茶飲みながらお団子とかも食べられるみたいでした。
鯛焼きをぱくつきながらお堀沿いを歩きます。
(心なしがお堀の水がいつもよりきれい)
そうしていると大日本印刷の大きな建物が目に入ってきました。
久しぶりのヒールでガンガン歩いていたからか、靴ずれで足が限界だったこともあり、休憩がてら少し立ち寄り、こんなものを作ってみたりしました。
この圧倒的な落書きセンスのなさ見て
(わざわざスマホの画像加工でごまかそうとするんじゃないよ)
写真はそれぞれ数年前に行った石垣島の海と今年の冬に訪れた高峰高原の雪原で撮ったものです。その下は上高地と鎌倉は長谷寺の紫陽花と。
海と山。また行きたいなあ・・・次こそ高峰温泉に泊まりたい
ほかにもいくつかおもち写真を印刷して、再びお堀沿いを神楽坂方面に歩き、今日の最終目的地へ。
日本の島嶼地の名物島ごはんが食べられるお店、「離島キッチン」へやってきました。ずっと来てみたかったのです。島になかなか行けないこの頃、なおさら食で島を感じたく・・・!
まずはここは潔く(?)飲酒でしょう。
麦の味が濃い!
ランチには八丈島で採れたムロアジを使ったメンチカツ定食をいただきました。衣にアジがみちみちに詰まっていてお酒がすすみます
お米やイカ漬けなど、他のおかずもそれぞれいずれかの離島産のものだとか。(朧の記憶)
店内には承久の乱後、隠岐の島へ配流となり、彼の地で没した後鳥羽上皇ゆかりの歌会の歌集なども置いてあり、わたしの中のひそかな鎌倉時代ブームの炎が沸き立つなどしました。(?)
その後は赤城神社でお参りしたり、小径をふらふら歩いたりしてから、小さな頃祖母と訪れてから大好きな「コパン」のシュークリームを自分へのお土産にして、靴擦れの足を引きずりながら帰宅。
静かで古風漂う新宿区を満喫した1日でした。